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中の島

中の島について

勝浦湾の入り口にある中の島は、熊野灘の名勝紀の松島の中の、二つの入り江と岩場に囲まれた小島です。
昭和11年に指定されました吉野熊野国立公園の中で特別地域となっております。

面積 約68,000m² 外周 約1.7km 標高 38.2m

勝浦湾は、三方を山で囲まれ、熊野灘の荒波から守られた古くからの天然の良港で明治の末ごろまでは、風待ちの場所として中の島の入り江に帆船が何隻も繋がれていたということです。
明治の終わりごろから昭和の戦前にかけて、当時は鉄道も道路も完全にはつながっていなかったため、大阪からの観光客・湯治客は大阪から船に乗って勝浦に入港し、それから那智の滝・那智大社に詣でるというルートが最も便利な交 通アクセスでした。
※当時、勝浦港は熊野三山への表玄関となっていました。

日の岬 潮岬は すぎぬれど なほはるけしや 志摩の波切は

大正7年6月に歌人若山牧水が和歌山から船で勝浦を訪ねた時に、湾の外の無数の島や大小の岩を縫いながら中の島の東側に突き出た気多の鼻(けたのはな)を回り込んで勝浦湾に入ったとき、その場所から見えた海からの那智の滝を感動的に紀行文として残しております。
(気多の鼻には今は灯台があります)

※この牧水の勝浦来訪を記念して50年後の昭和43年に中の島山頂の展望台に歌碑が建てられました。

昭和初期には大阪商船が大阪勝浦急行船を運航して那智丸・牟婁丸という船が当時の最新鋭の客船でありました。
昭和10年ごろの所要時間は勝浦発17時に出港した船が翌朝6時40分に大阪着とのことで、およそ半日強の船旅のようでした。

気多の鼻(けたのはな)のイメージ

気多の鼻(けたのはな)

このように中の島東側は勝浦港への客船の航路となっており、
また地元の漁船にとっても勝浦湾の出入りに重要な目印であったようです。

※出雲神話で大国主命と白兎の出会う場所を気多の前(けたのさき)といいますが熊野那智大社の重要な御神体は那智の滝そのもの、すなわち大国主命であり那智の滝を望める中の島の気多の鼻は出雲神話と何かつながっているのかもしれません。

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中の島旅館について

中の島は勝浦湾の入り口にあるということで、明治の末ごろまでは帆船を相手に島の入り江(今のレストラン海味彩のあたり)で船宿が営まれていたようです。
昭和10年頃、島の所有者が木造2階建て10数室の旅館を建て、温泉もボーリングをおこなって温泉旅館を始めました。
当時、島からは温泉は出ても真水が出なかったため、必要な水は町から船で島へ運んで営業したということです。
※現在は町から水道管が島まで引かれておりますが、食材などの運搬に使う船を当時の名残で水船(みずぶね)と呼んでおります。

その後戦争中は一時海軍に接収され旅館は閉鎖となりました。戦後営業を再開後もこの木造の建物は伊勢湾台風による被害などもありましたが昭和40年の始めころまで客室・宴会場として使われておりました。

中の島

昭和25年ごろの中の島旅館

中の島

私どもは、昭和33年に当時の島の所有者より買い受けまして、昭和34年の紀勢線全線開通や昭和44年の国道42号線の拡幅・舗装完成による那智勝浦へのお客様の増加にあわせるよう建物の規模を拡大して現在のホテル中の島に至っております。

写真左
昭和36年頃。木造二階の建物(現:レストラン海味彩の場所)と、現在の3号館が並んでおります。

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